違和感からはじまった、次世代とつくるシビックテック

2026.06.01 | スタッフ

——自己紹介をお願いします

コミュニティコーディネーターの武貞です。ソーシャルハックデーやCode for Japan Summitなど、Code for Japan(以下、CfJ)が運営するコミュニティイベントの企画・運営を担当しています。元々はソーシャルハックデーの一参加者だったのですが、今は企画・運営側になっています。

——CfJに関わるようになったきっかけは?

もともと、デザインの力で社会課題に取り組みたい、海外でもチャレンジしたい、そしてアプリやツールを通じて、時間や場所の制約を越えて必要な人に適切なサービスを届けたい、という思いを持っていました。

新卒で入社したLITALICOもそうした関心から選んだ会社です。入社当時のLITALICOは、対面型の支援を軸にしながら、アプリやシステム開発にも力を入れ始めていました。その一環として、IT人材が社会課題を扱う仕事に触れる企画を立ち上げることに。連携先を探していたところ、「うちのオフィスの会議室を貸していたCode for Japanという組織があるから、聞いてみたらどう?」という話になったんです。

そこで企画の相談も兼ねて参加したのが、ソーシャルハックデーでした。会場では、参加者がとてもカジュアルな雰囲気でピッチをしていたので、私もその流れに乗って、飛び入りでピッチさせてもらいました(笑)。みなさんとても優しくて、すっと受け入れてくれる空気感も良かったですし、何よりこの活動そのものにも強く惹かれました。

聞けば、このハッカソンイベントはまだ立ち上げたばかりとのこと。何かお手伝いできればと、気がついたらその日のうちにボランティア登録をしていました。

初めてソーシャルハックデーでピッチをした時の様子(2018年春)

初めてソーシャルハックデーでピッチをした時の様子(2018年春)

——その後、立場や役割はどう変化したのでしょうか?

最初は、人材開発や広報の経験を活かしながら、プロボノや業務委託といった形で関わっていました。2018年9月に新潟で開催されたCode for Japan Summitにも参加しました。全国からシビックテックに関わる人たちが集まり、ひとつの場をつくっている光景を見て、一気に引き込まれたのを覚えています。

そのすぐ後に参加した台湾のg0v(ガブゼロ)Summitも、印象深い経験でした。CfJのイベントは、どちらかというと、私より上の世代の男性が多く来ている印象があったんです。でもg0vのSummitは、若い世代が子どもを連れて参加していたり、LGBTQの方々や少数民族の方々などマイノリティを取り上げたセッションが賑わっていたり、年齢・性別・人種・民族も本当に多様でした。台湾の初代デジタル担当大臣でもあった唐鳳さんが小さな会場のセッションで話していて、声をかけたら気さくに質問に答えてくれたのも驚きでした。会場全体がエネルギーに満ちて、活気がありました。

g0v Summitで台湾のメンバーたちと(2018年10月)

g0v Summitで台湾のメンバーたちと(2018年10月)

日本のシビックテックコミュニティも、こんな風にいろんな人が関われる場になったら良いな……。帰国後開催されたg0v Summit報告会での発表で、そんな思いを口にすると、「じゃあ、やってみたら?Why notでしょ!」と関さんに言われて。

この背景にあったのは、 “Ask not why nobody is doing this. You are the ‘nobody’!” というg0vのモットーです。気づいた人がまず動き出し共感した人が加わっていく、誰もがリーダーにもフォロワーにもなれる、そんな文化を表しています。

だから、関さんは「Why not?」と言って、私の気づきを後押ししてくれたんですね。g0vと同様、CfJもまた気づいた人が始めることを大切にする場なんだと実感し、より一層主体的に動かす側へと意識が変わっていったように思います。

——g0vでの経験を経て、生まれたプロジェクトは?

多様性の実現と海外コミュニティとの連携を意識して、まず取り組んだのが「Herstory(ハーストーリー)」というプロジェクトです。このプロジェクトは、g0v Summitで知り合った台湾や韓国のシビックテックに携わる仲間たちと一緒に進めました。

起点になったのは、g0v Summitのキーノートで語られていた「オープンデータはフラットではない」という言葉です。これは、データの世界にはすでにさまざまな偏りが存在している、ということを意味しています。

たとえばWikipediaに載っている人物の多くは男性で、地域的にも北半球の情報が中心です。南半球では口承文化が多く、女性の履歴も含め、そもそもデータとして残りにくいものが少なくありません。

こうした課題を前にして、女性やジェンダーに関わる歴史を時系列と場所の軸から、3か国でマッピングすることから始めようということになりました。制度面の変更も含め、他国に及ぼす影響や相互作用を可視化できたらと考えたんです。

国をまたぐプロジェクトだったので、戦争期の出来事など、扱いが難しいテーマも含まれていました。起きた事実を書くことはできても、原因や結果に踏み込もうとすると、多言語翻訳にする段階で表現に悩む場面も多くありました。それでも、すでに顔を知っていて、一緒にご飯を食べたり、日常の悩みを相談しあったりと、普段から対話を重ねてきた関係があったからこそ、なんとか進めることができました。

ここでの経験で、歴史を学ぶということは、異なる立場の人と対話を続けることのなかにあるのかもしれないと感じました。問題がすぐに解決しなくても、手を動かし、対話を重ねていく。その積み重ねが、社会に貢献できているという感覚につながり、困難な状況でも自分を支えてくれるのだと思います。

アジア各国のシビックテックメンバーたちとご飯会

アジア各国のシビックテックメンバーたちとご飯会

——その後、CfJに入社することになりますね

Herstoryをはじめ、いくつかのプロジェクトに関わっていくうちに、私のCfJへのコミットメントは高まっていきました。

そんな中、新型コロナウイルスの感染が広がり、社会の状況が大きく変わります。CfJでも、東京都の新型コロナウイルス感染症対策サイトの開発が注目され、自治体やメディア、企業からの相談や問い合わせが一気に増えていきました。

複数のプロジェクトが同時に立ち上がり、やるべきことも急激に増えていく中で、私自身も外から手伝っている人というより、中にいる一員のような立ち位置で関わるようになっていました。

その頃勤めていた会社では、上場を経てスタートアップ・ベンチャーから一般的な企業組織へと変化する時期に差し掛かっており、貴重な経験を積むことができていました。同時に、個人の役割や組織規模が変わっていく中で、もう一度、手を動かしながら試行錯誤し、挑戦できる環境に身を置きたいという思いもありました。そうしたタイミングで、CfJから社員にならないかと声をかけてもらい、正式に参画することになりました。

——入社後、シビックテックチャレンジカップを立ち上げた背景は?

コロナの感染が収まらず、対策サイトの地域版も続々と立ち上がっていた頃、各地の高校や高専、大学に通う学生たちがそのサイトづくりに貢献しているのを目の当たりにしました。というのも、コロナの影響でインターンや課外活動が出来ない状況だったので、その時間をオープンソースの開発にあてる学生が多かったんですね。ただ、その活動を認知・評価したり、次の挑戦につなげたりする場はほとんどありませんでした。

一方で、ポケモンで有名なクリーチャーズさんをはじめ、企業からは、学生や若い世代の活動を応援したいという声をいただいていました。学生の挑戦と企業の思い、これらをかけ合わせて立ち上げたのが、学生のオープンソース開発やプロトタイピングの取り組みを表彰するサマープログラム「シビックテックチャレンジカップ(CivicTech Challenge Cup U-22、以下 CCC U-22)」です。

ここで大切にしたのは、学生のためのプログラムを、学生と一緒につくっていくということ。学生と社会人が毎週オンラインで同じ場に集まり、企画を進めていきました。

CCC U-22を運営するインターンの学生たちと

CCC U-22を運営するインターンの学生たちと

会議では、発言の順番をランダムにしたり、チェックインや雑談の時間を設けたりして、年齢や立場によるヒエラルキーが生まれないよう工夫していました。オンライン会議だったこともあり、肩書きや年齢を意識せず、フラットに話せる環境をつくれたと思います。学生側も話しやすかったようで、さまざまな意見を出してくれました。実際、10代半ばの学生からの一言に、はっとさせられることが何度もありました。

CCC U-22は4年間続き、参加者は累計600人以上になりました。参加した学生の中には、CfJのインターンやコミュニティのプロジェクトに参加するなど、継続して活動してくれている人がいます。g0v Summitで感じた「多様な人が自然に関われるコミュニティ」というイメージを、CCC U-22を通して少し形にできたのではないかと感じています。

その後も、米日カウンシルと在日米国大使館が主導する「TOMODACHI Boeing Entrepreneurship Seminar」の事務局や、東アジアのシビックテックコミュニティとの合同イベント「Facing the Ocean」に携わりながら、学生や海外コミュニティとの協働を広げる取り組みを続けています。

——プロジェクトを動かし続ける原動力は、どこから来ていますか?

あまり意識していなかったのですが、これはおかしいんじゃないか、きっとこうじゃないやり方もあるはずだ、という違和感が行動のきっかけになることが多い気がします。

特定の人たちだけが損をしていたり、大事なものが仕組みの中で置き去りにされていたりする状況を見ると、どうしても引っかかってしまう。ジェンダーのように当事者性があるテーマもありますが、身近な人や声を上げにくい立場の人たちが苦しい状況に置かれているのも耐えられないんです。

小さい頃から、なんで?と思うことが多い子どもだった気がします。人と違うことを直すよう強いられたりすることや、決められたやり方に合わせるように求められたりすることがあると、なぜその人がそのままでいられないのか不思議でした。

だからこそ、何かが違うと思ったときに、否定するだけで終わらせたくないんです。こういうやり方もある、この方法でも良いのではと、別の可能性を示したい。その気持ちが、CfJでプロジェクトを進める原動力になっているのだと思います。

——CfJでは、どんな人が力を発揮できると思いますか?

たとえ異なる意見を持っていても、ともに考える姿勢を持ち続けられる人だと思います。CfJは人数が多い組織ではないので、一人ひとりの関わりが、そのまま組織のあり方へと影響します。

教えてくださいというスタンスだと、少し戸惑ってしまうかもしれません。というのも、CfJが取り組む課題やテーマは、正解があらかじめ用意されていることがほとんどないからです。答えをもらうよりも、始め方から一緒に考えていく姿勢が求められます。

客観的に物事を捉えるメタ的な視点と、当事者として動く主体性。その行き来ができることも大事です。自治体の視点だけ、あるいは市民の視点だけに寄りすぎても、プロジェクトは前に進みません。いろいろな立場を行き来しながら、この辺からやってみましょう、と実行に移せる人に合っていると思います。

社会課題には、前例がなく難しい状況がつきものです。でも、まずは手を動かしてみる。考えるだけで終わらせず、試しながら変化して進んでいける人は、CfJの環境を楽しみながら力を発揮していけるんじゃないでしょうか。

オードリー・タンさんにインタビューしたことも(2019年12月)

オードリー・タンさんにインタビューしたことも(2019年12月)

——CfJに関わったことで、仕事以外の面で、変化はありましたか?

ありましたね。NPOの理事や大学での講義など、仕事以外の部分でも活動の幅が広がっていきました。同時に、個人で研究してきた内容が仕事に影響することもありました。実は今、博士課程の論文を仕上げている最中です。テーマは発達障害のある子どもたちの「睡眠」です。前職で支援に関わっていた頃、施設で直接関われる時間以外の暮らしをどうサポートできるのかを考えていました。それがこの研究の出発点でした。

これがCfJでのオープンソース開発の取り組みとも重なり、「Gussiri(ぐっすり)」というアプリの開発につながりました。仕事に加えて、副業や博士論文と、いろいろと同時進行ですが、おかげさまでかなり濃い時間を過ごしています。

学会でGussuriについて発表

学会でGussuriについて発表

——最後に、この記事を読んでいる方へメッセージをお願いします

CfJでは、手探りで進めるテーマがほとんどで、方向性が合っているのかと立ち止まることも、よくあります。

そういうときに、CfJの仲間に相談すると、一人では思いつかなかった視点からヒントを返してくれます。相談して肩透かしになることがほとんどないんですよ。考えること、チャレンジすることを大切にしている人たちと一緒にいられるのは、すごく心地いいなと感じます。

答えがない中で、一緒に悩んだり、手を動かしたりしながら進んでいく。そんな過程そのものも楽しめる方と、これからもともに考え、つくっていけたらうれしいです。

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