豊かな自然と伝統文化が色濃く残る能登半島。この美しさや歴史、やさしさを後世に繋げようと、2024年1月にCode for Notoは誕生しました。今回は、代表理事である羽生田さんに、誕生までの経緯と現在進めているプロジェクト、そして今後の展望についてお話をお伺いしました。
——石川県のなかでも、能登という地域を中心に活動をされているのですね。まずは能登についてお話いただけますか。
はい、能登地域とは、石川県の北側に位置し、日本海に大きく突き出た半島を指します。震災前時点には、地域全体で約16万人が暮らしており、奥能登と呼ばれる半島の先端の地域(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)には約5万人が住んでいます。
能登の大きな特徴は、美しい町並みや建築物、文化が今も大切に保全されている点です。昔から能登は日本海を通じて大陸との交流があり、その文化や技術が半島という地理的な特性によって独自に発展しました。今でも祭礼を始めとする民俗行事が受け継がれ、古の文化が色濃く残っています。
さらに、キリコ祭りに代表されるように、集落ごとに全く異なる文化が育まれているのも特徴のひとつです。漁業、農業、門前町など、それぞれの集落の成り立ちが異なることもあってか、隣町なのに喋る言葉が違うぐらい、文化も歴史も多種多様なんです。
——能登という地域の中に、それぞれの文化が形成されているのですね。
はい。各地域で形作られた文化や歴史が、住民の方々の強い誇りと愛着をも育んできました。住んでいるおじいちゃんおばあちゃんに話を聞くと、とても面白いんですよ。いわゆる観光ガイドに載っているような情報としての話ではなく、700年頃に遡ったつながりを説明してくれたり、ご先祖様からの話をしてくれたり、長い長い歴史を背景とした深い話を聞くことができます。
実は私は東京出身で、ここで生まれ育ったわけではありません。2023年4月に石川県庁のデータアナリストとして赴任して、最初は美味しい食事を楽しみに、土日を使って能登に通い始めました。でも、ここで出会った人々の話を聞くうちに、どんどんこの地域の魅力に惹き込まれていったのです。お話を聞かせてくださった方が「じゃあ、この人のところにも行ってみたら?」と次々に紹介してくださり、貴重な話を聞いて回るのが楽しみのひとつになっていました。
——そういった経験が活動の下地になっているのですね。どのようなきっかけで、Code for Notoを立ち上げたのでしょうか。
地域のおじいちゃんおばあちゃんの話を聞くうちに、この豊かな歴史や文化への想いを、次の世代に伝えていきたいと考えるようになりました。とはいえ、高齢化は深刻です。先ほど奥能登の人口が約5万人と言いましたが、これは登録されている住民票の数字です。おそらく実際に暮らしている数はもっと少なく、特に若い世代の方は非常に少ない状況です。
このままでは地域の歴史を語り継ぐ人がいなくなってしまう。そんな危機感を抱きながらも、東京出身の私が「能登」を語ることへのためらいもありました。しかし、2024年の能登半島地震が、その決意を後押しすることになります。復興の中で、想いの詰まった品々が次々と捨てられていく様子を目の当たりにしたからです。
例えばこのランプは、100年ほど前に漁船で使われていたもので、被災地の蔵から見つかりました。大漁旗も同様です。これらは地域の歴史や想いが詰まった品々ですが、泥まみれになって出てくると、その価値に気が付かず、処分されそうになっていました。
ボランティアの人手不足も確かに課題ですが、同じくらい重要なのは、歴史や想いを知らないまま復興活動が行われていることです。せっかく能登と繋がりができた方々に、この地域のことをもっと知っていただきたい。そう考えたことが、Code for Notoという活動の始まりとなりました。
——具体的にはどのような活動をされているのでしょうか。
私たちは「Art」「Note」「Data」という3つの視点で活動をしています。Artは「アートを取り入れた発信や可視化」、Noteは「デジタルアーカイブ・情報発信」、Dataは「データの可視化・分析」です。
先ほどお話しした「地域を知ってもらいたい」という思いから始めたのは、「Note」の活動の一つ、ボランティアの方々向けのオーディオガイド「MIMI-NOTO-MO」です。能登の支援に来られる方々は片道2〜3時間かけてバスに乗っていらっしゃいます。その移動時間に聞けるよう、能登の歴史や文化を知っていただけるコンテンツを作りました。
一般的なメディアで報じられる能登の情報だけでなく、昔話・伝記・自然や祭りなどの話も盛り込みました。元新聞記者の久慈さんに協力いただき、事実と伝承をうまく組み合わせ、プロのアナウンサーのナレーションで提供しています。これは嬉しいことにちょっとバズりまして(笑)。紹介する冊子を駅の観光案内所に置くと、1日で何百部もすぐになくなるほど、大変好評を得ています。
「Note」の活動では、珠洲市の櫻田酒造のVRコンテンツも開発しました。被災した酒蔵の様子をVRで記録し、そこに櫻田さんのインタビュー内容を重ねることで、日本酒づくりにかける想いや、震災からの復興に向けた挑戦を伝えています。単なる商品紹介ではなく、背後にある造り手の物語を共有することで、より深いつながりを作りたいと考えています。
「Art」の活動では、「能登のステキ写真展」を開催し、被災者から集めた約2万枚の震災前の写真を展示しています。ここは、地震や火災で家を失い、思い出の写真さえも失ってしまった方々にとって、大切な語らいの場にもなっています。「ここにこんな建物があったね」「あの時はこうだったね」と、写真を見ながら思い出を共有する、コミュニティの場として機能しているのです。
この展示の設営には、被災者の方々にも関わっていただいています。金沢での二次避難を余儀なくされている方々にとって、知り合いもいない、仕事もない状況は大きな不安です。この活動を通じて、新たな人とのつながりや、やりがいが生まれることを願っています。
もう一つの「Art」の取り組みが、デジタル付箋サイネージシステム「Noto Wander Wall」です。これは、まちづくりの新しい形を目指したものです。従来のワークショップでは、付箋紙に書かれた意見を模造紙に貼り、それをPDFにまとめて行政に提出するのが一般的でした。しかし、そうすると地域の人々の想いや願いが、「〇〇という施設が欲しい」といった一文で終わってしまい、本来の豊かな意見が薄められてしまうんです。
この地域特有の複雑さを、複雑なまま残していきたい。そう考え、ワークショップに参加できない方や耳の不自由な方でも意見を出せるよう、2次元バーコードでの入力を可能にしました。手書きの意見は私たちが代わりに入力しています。これらの意見は全て大きなサイネージに表示され、教育から施設まで、様々な要望や提案を共有できます。さらに、集まった意見を自然言語処理で分析し、共起キーワードやワードクラウドで可視化することで、まちづくりに新しい視点を提供しています。
NoteやArtの活動で、このようにデータを活用できるのは、私を含め立ち上げメンバーが全員データの専門家だからです。理事の執行と川田は学生時代からの友人で、統計学を学び、現在もデータアナリストやプログラマーとして働いています。この専門性を活かし、Code for Notoの「Data」の活動ページでは、さまざまなデータの可視化を公開しています。
——すでにたくさんのプロジェクトが進行しているのですね。これからの活動について、新しい展開はありますか?
現在準備しているのは、「NOTOまちづくりタイムライン(仮)」というキュレーションサイトです。地域によって復興の進み方は様々で、早く進んでいる地域もあれば、まだまちづくりのワークショップも始まっていない地域もあります。お祭りの再開についても、地域ごとに考え方が異なります。
県外の方々からは「和倉温泉は今どうなっているの?」といった、現状についての問い合わせを多く寄せられることがあります。各地域の復興のプロセスや現状を可視化し、わかりやすく伝えていくため、これまでのプロジェクトで協力いただいている記者や作家の方々とも連携しながら、ストーリーを交えながら情報発信を進めていきたいと考えています。
——活動を進めるにあたって、特に求めている仲間はいますか?
編集者の方に協力いただけるといいですね。能登は地域ごとに異なる文化や歴史を持っているため、それぞれの特徴を正確に伝えられる編集力が求められます。文章力だけでなく、見せ方やレイアウトなど、編集のプロフェッショナルならではの技術力が必要です。もし一緒に活動いただけるなら、リモートでの参加も歓迎です。
活動は多岐に渡り、絵本や詩集制作などのプロジェクトも進行しています。住んでいる方々だけでなく、県外の方も含めて、様々な方のお力をお借りしながら、進めていきたいです。
——この先、Code for Notoはどのような存在でありたいとお考えでしょうか。
まちづくりには4つのリーダー - 政治的リーダー、経営的リーダー、技術的リーダー、そして文化的リーダー - が必要です。
政治的リーダーは政治家や行政職員などの、地域の政策を担う存在です。経営的リーダーは、その地域をきちんと経営できる親分的立場の方。技術的リーダーは、建築の親方のように、その地域の技術的な特徴を理解している人ですね。そして、文化的リーダーは、地域の文化や歴史をしっかりと理解し、他の三者と対等に話ができる存在です。
特に今、文化的リーダーが不足していると感じています。過去の被災地では、大規模な盛り土の上に大型商業施設を建てるといった復興が進められてきました。そうした場所では、街の姿が一変してしまい、「私たちのふるさとって何だろう」という戸惑いの声を耳にします。ただ建物を建て直すのではなく、地域の文化や歴史を理解して、つなぎ役を果たす文化的リーダーの存在が不可欠なのです。
Code for Notoは、この「文化的リーダー」として、シビックテックの力でまちづくりの一翼を担っていきたいと考えています。地域の個性や文化が失われることなく、次世代に引き継がれていってほしい。デジタル技術を活用しながらも、その先にある人々の思いや文化をつなぐ架け橋となる、そんな存在でありたいですね。
——今回、こうしてお話をお伺いするだけでも、独自の文化が息づく能登の魅力がたっぷりと伝わってきました。
まだまだ復興の途上ではあるとは思いますが、Code for Notoの活動によって、能登の文化や歴史はきっと未来へとつながっていくでしょう。この輪が益々広がることを願っています。どうもありがとうございました。